My Story
-「私」に戻る旅の始まり―
辛くて、苦しくて、先が見えない・・・。
そんな日々の中で、私が抱き続けた願いがありました。
「人を理解したい。」
人を理解できれば、この苦しさにも理由が見つかるかもしれない・・・。
そして、自分自身のことも理解できるかもしれない。
そんな思いが、私の探究の始まりでした。
この思いは、子どもの頃からずっと変わりません。
モラハラ。
毒親。
アダルトチルドレン。
HSP。
共依存。
今なら、こんな言葉で語られるような出来事が、
私の人生にはありました。
でも当時は、そんな言葉すら知りませんでした。
置かれた状況に必死に対応していくことで、精一杯でした。
人の表情を読み、
空気を読み、
相手が何を感じているのかを、
必死に理解しようとしていました。
それは、生きるためだったのかもしれません。
けれど今振り返ると、
その頃から私は、
「理解する」ということを探し続けていたのだと思います。
そして、その問いに答えを求めるように、
私は学び始めました。
コミュニケーション論、社会学、ジェンダー論を学び、
哲学、宗教学、心理学へと関心を広げ、
さらに、
英語、
ヨガ、
ヨガセラピー、
アーユルヴェーダ、
アロマセラピー、
クレイセラピー、
対話、
AI、
長年続けてきた朗読を通じて
表現と脳の働きなど、
さまざまな分野を学び続けてきました。
理解できると納得できる。
納得できると、
私は安心することができる。
だから私は、学び続けてきました。
私は知識を集めたかったのではありません。
人を理解すること。
自分を理解すること。
そして、
人と人が理解し合い、
自分も他者も安心して生きられる社会とは何か――。
その一つの問いを、
あらゆる角度から探究し続けてきたのです。
この長い学びの中で、
「私は何をしている人なのだろう。」
と思い悩むこともありました。
でも今なら分かります。
私は、器用貧乏だったのではありません。
一つの問いを、生涯をかけて探究してきた人だったのです。
2013年の春、ヨガを学ぶ中で、
インドの師から
「ANANTA SARITA DEVI(アナンタ・サリタ・デヴィ)」
という聖名をいただきました。
意味は、
「永遠の智慧の流れを愛でる女神」。
そして、
Who want to know & flow like a river in the life to enjoy endless happiness & peace.
(「知り、川の流れのように生きることで、尽きることのない幸せと平和を味わう」)
という意味が追記されていました。
その時は、
「学ぶこと」が好きな私を表している名前なのだろう・・・
そのくらいにしか思っていませんでした。
けれど今、自分の人生を振り返ると、
「ああ、この名前は、私の生き方そのものだったのだ。」
と思います。
「智慧」という字には、
「知識」だけではない、
人生を通して育まれる深い理解という意味があると後に知りました。
その「智慧」の「流れ」を愛でる・・・
学び続け、理解が深まり、笑顔が生まれる日々を求め続ける、
私の生き方そのものでした。
私は、
知識を増やしたかったのではありません。
理解を深めたかった。
そして、
理解したことを、
言葉や身体や表現を通して、
誰かと分かち合いたかったのです。
だから、
私が学んできたことは、すべて一本につながっています。
英語も、
朗読も、
ヨガも、
セラピーも、
対話も、
それぞれ別の活動ではありません。
「理解」を、
人との関わりや身体、言葉、表現を通して
実践する方法だったのです。
私は、
「受け止める」と「受け入れる」は違うと考えています。
まず、
ありのまま、事実をそのまま受け止める。
理解する。
納得する。
そのうえで、
必要なものだけを受け入れる。
その積み重ねが、
「私に戻る」
ということなのだと思っています。
こころ・ねは、
新しい自分になる場所ではありません。
「私はこれでいい」と
安心して言える自分に戻る場所です。
私自身も、今も旅の途中です。
だから私は、
誰かを導く先生ではなく、
同じ旅を歩く案内人でありたいと思っています。
揺れ、迷う日もあります。
立ち止まる日もあります。
それでも私は、何度でも自分に問いかけます。
「私は、本当はどう感じているのだろう。」
この問いに戻ることが、
私にとって「私に戻る旅」の始まりでした。
そして今も、
その旅を
私は歩き続けています。