My Story
私はこれまで、
どんな状況の中でも、
「考えること」をあきらめずに、
「今ここ」に戻りながら、
自分が納得できる答えを探して、
生きてきました。
振り返ると、
決して穏やかな道のりではありませんでした。
知人から、
「小説よりも小説のようだね」
と言われたことがあります。
家庭環境や人間関係の中で、
いつの間にか相手の顔色を見て、
自分よりも
「相手が欲する言葉」を与えることが、
当たり前になっていました。
自分の言葉や本当の気持ちを、
心の奥に沈めて過ごす日々。
いつしか、
心も身体も、
感覚が麻痺していきました。
そんな暗闇の中でも、
私は「考えること」をやめませんでした。
どうすれば自分を保てるのか。
どうすれば崩れずにいられるのか。
ひたすら探し続けてきたように思います。
そして私は、
ずっと
「言葉」に支えられてきたこと、
離れそうになるものを
「繋ぎ」続けてきたことに気がつきました。
朗読を通して言葉に触れること。
英会話を通して主語の感覚をつかむこと。
ヨガを通して心について学び、
体に意識を向けること。
声を出し、言葉の世界に触れる。
英語の構造から、主語を考える。
呼吸に意識を向け、
その流れに合わせて身体を動かし、
心と身体を繋いでいく。
それらは、
外側に流されそうになる自分を、
何度も「今ここ」に戻してくれるものでした。
すぐに答えが見つかるわけではなく、
遠回りのように感じることも多くありました。
それでも、
自分の言葉で考えること。
心と身体を切り離さないことだけは、
手放さずにきました。
そうして少しずつ、
私は自分を取り戻していきました。
今思えば、
私は主語を失っていたのではなく、
失いそうになりながらも、
手放さずに生きてきたのだと思います。
どんなに苦しい状況の中でも、
「私はどう思うのか」
「私はどう感じているのか」
という問いだけは、
心のどこかに残っていました。
だから私は、
「私として考える」ことを
やめなかったのかもしれません。
そして気づいたのは、
過去でも未来でもなく、
「今ここ」にしか、
自分はいないということです。
外側に合わせ続け、
自分の感覚が分からなくなりそうな時も、
心のどこかで、
「本来の自分に戻りたい」
という感覚だけは、
消えずに残っていました。
人は、
自分の感覚に戻り、
自分の言葉で世界を捉え直した時、
もう一度、
「自分として」生き始めるのだと思っています。
今、私が行っている対話やヨガ、英会話、
そして朗読は、
そのための手段です。
特別な誰かになるためではなく、
自分の内側にあるものに気づき、
自分を理解し、
自分で納得し、
安心へ戻っていくために。
私は、
安心とは、
問題がない状態ではなく、
自分を理解し、
自分で納得できている状態だと考えています。
だからこそ、
こころ・ねでは、
「私はどう感じているのか」
「私は本当はどう思っているのか」
という主語を大切にしています。
自分の言葉で考え、
理解し、
納得し、
安心する。
そして、
安心した状態から、
未来を描いていく。
その時間を、
対話と声を通して届けています。